どうせ何を言っても信じてもらえないし…子どもの自己肯定感の低さをどうにかしたい。

子ども
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先日上の子どもが間違ってクラスメイトに怪我をさせてしまったようですが、その際に周りの子から「わざとだろ!」と詰められたときに「わざとだ」と言ってしまったそうなのです。何故なのか理由を聞くと、「どうせ何を言っても信じてもらえないし」ということだそうです。

そういう自己肯定感の低さというのはこれまでもたびたび問題になっているわけですが、今回はそんな自己肯定感の低さについて、どんな原因があるのか、どんな対処法があるのかを述べていきたいと思います。

日本の子どもは押し並べて自己肯定感が低い。

そもそもの話ですが、日本の子どもは自己肯定感が低いと言われていますね。内閣府でまとめている統計調査に、子どもの自己肯定感に関するデータがあります。

日本の子どもは外国の子どもに比べて自分自身に満足している割合が低い:内閣府の調査
出典:令和元年版 子供若者白書

他国に比べて明らかに自己肯定感が低いことが分かります。日本の国民性でもあるのでしょうか。

自己肯定感が低いのは出る杭は打たれる教育の賜物か。

もともと大人でも「自分はこんなにすごい」と自慢すれば痛いヤツと指差され、謙虚であることが美徳とされる文化が日本にはあります。出る杭は打たれるということわざもありますが、要は目立ったり、自身を誇りそれを前面に出すことがリスクであることをみんな知っているのです。

出る杭は打たれる打たれる教育の現状。

出る杭は打たれる教育は小学校入学当初から始まります。皆一律に、声を揃えて本を読むことを教えられて、同じ問題の解き方、同じ目線、同じ価値観を強要されます。

問題を解くにあたっても、結果的に問題を解ければいい、ではいけないのです。先生が教えた通りに、先生が教えたことだけ答えなければ丸がもらえない、そんな教育が異常だと声を上げている人もいなくはないですが、少なくとも教育の現場ではあまり問題にはならないんでしょうね。

いかに余計なことをしないで、言われたことだけをやるよう子どもの頃から求められているのです。

「してはいけない」が多すぎる、出る杭は打たれる教育。

出る杭は打たれる教育でなぜ自己肯定感が低くなるかというと、それは「してはいけない」が多いからだと言われています。型にはまることを強要されてばかりだと、否定されることが多くなります。

回答に至る道が複数あったとして、けれども通っていい道が1つだけとなると、自然と「そっちはいけない」と声をかけることの方が多くなのではないでしょうか。結果、自分のやりたいこと、得意な方法、できることが否定されていき、自己肯定感の低下につながるのではないかと考えられています。

中学生から顕著に低下する自己肯定感

内閣府のデータを見ると、特に中学生あたりから急に自己肯定感が低下していることが分かります。

自分自身に満足しているかどうかに調査で、16歳以降急に低下している
出典:平成26年版 子供若者白書

これを見ると、うちの子どもはまだ小学校中学年ですが、今後さらに自己肯定感が低くなる可能性が高いことが分かります。なぜ中学生から自己肯定感が低下していくのでしょうか。

中学生は本格的に自我が目覚めるとき。

小学校高学年から中学校、そして高校に至る中で、人は誰しも反抗期を経ると言われていますが、その理由が自我の発達と言われています。自我が発達して、それが大人への反発として出てくるわけですね。

けれども同時に中学生は、特に個性を封じられる時期でもあるでしょう。一律同じ制服を着て、同じ鞄を背負い、「もう大人なのだから」と必要以上に規律を押し付けられる時期でもあるでしょう(ただ制服に関しては、各家庭の貧富の差を隠すという意味では非常に重要な役割を負っていると言われてもいますので、一概にそれが悪いと言うわけではないのですが)。

中学校の時期は、個人の実力の差がはっきりとしてくる時期。

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小学校の頃はまだ、学力にせよ運動能力にせよ、そこまではっきりと差が出てきませんが、中学校に入る頃からはその差もだいぶはっきりしてきます。それなのに、ただ同じ地区に住んでいるというだけで同じ水準の教育を受けされられます。

これは勉強にせよ運動にせよ、突出してできる子ども、あるいは苦手な子どもにとって、非常に苦痛となるでしょう。できる子どもからしてみれば、もっとレベルを上げたいと感じるでしょうし、苦手な子どもからすれば追いつくのにも精一杯です。

すると今度は教師だけではなく生徒間でも出る杭は打たれるが発動します。自分と近しい人である分、生徒間での出る杭は至れるの方が子どもにとって辛いかもしれません。

そういった疎外感を回避するために、自己を肯定することをやめてしまうことにつながってしまうのではないかと考えられています。

自己肯定感を育てるには?

自己肯定感を育てるにあたって必要なものとしてよく言われているのは、やはり「認める」ことでしょう。例えば幼児教育の書籍を読むと必ず「できたね!」「やれたね!」などの声がけが大事であると記されています。

小さく「できたこと」と積み上げていって、1つ1つ承認してあげることが自己肯定感の向上につながるということですね。また相手の考えに気づき、それを受け入れ、許可するといったステップが大人の自己肯定感を育てる上でも有用であると報告されています。

子どもに言ってはいけない言葉、やってはいけない行動。

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逆にこれをしてしまうと自己肯定感を低下させてしまうという項目もあります。どちらかというと、私はこっちの方に気をつけなければいけないと感じます。

当てはまり、思い至ることがあるからです。

自己肯定感を下げる言動その1:感情を受け止めない。

例えば学校の帰りに拾ってきた木の枝があったとします。それは友だちと公園で一緒に遊んできて、その時に使ったものです。

親としては、そんな棒拾ってきてないでちゃんと捨ててきなさい、と言うわけですが、本人は大事なものだから捨てたくないとごねます。そんな時にどんな行動をするか…バカバカしいと無理やり捨てさせたりしていないでしょうか。

私は心当たりがあります。

自己肯定感を下げる言動その2:大きな期待をかける。

過度な期待はかえって子どもを押しつぶすことになりかねません。やればできる、だからもっと頑張って必ず賞を取りなさい。

極端な例ですが、子どもを追い詰める結果になりますし、頑張った結果できなかった時の子どもの自己肯定感はものすごく低下してしまうでしょう。

自己肯定感を下げる言動その3:兄弟姉妹、友だちと比べる。

年齢が近い兄弟姉妹、そして友だちを、子どもは大人が考えている以上にとても意識していると言われてします。ものごとの優劣について、大人が思っている以上に劣等感を感じているのです。

そんな中「あの子よりもできない」「あの子の方が素晴らしい」なんて言葉を浴びせられたら、自己肯定感は著しく下がってしまうでしょう。

自己肯定感を下げる言動その4:早く、と急かしている

学校の準備をしている時、宿題をしようとしている時、寝るとき、思わず口にしがちな言葉「早く」です。これもまた私にとっては耳が痛いところです。

別な何かをやっている時に、早く終わらせなさいと言われれば、今やっていることを否定される気持ちになるわけです。また既に実行しているにもかかわらず(例えば朝学校に行く準備など)さらに早くと急かされるのは、いわばお前は遅いぞと指摘され続けているようなものでしょう。

これもまた自己肯定感を低下させる一因であると言われています。

自己肯定感を下げる言動その5:失敗を怒る

せっかくチャレンジしたのに失敗して怒られた、やっと勉強をやり出したのに問題が解けずに怒られた、こういったことが続くと自己肯定感の低下につながると言われています。確かに、子どもの失敗というと、親など大人の言うことを聞いていなかったことが原因だったり、問題が解けないのは本人の努力不足によるものもあるでしょう。

けれどもそれを怒ってしまったら、余計に萎縮してしまうのも当然です。失敗はあって当たり前。

そんなおおらかな気持ちで構えている必要があるのかもしれません。

自己肯定感の低さをどうにかしたいまとめ

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自己固定感の低さについて、その原因と対処について述べてきました。学校の教育については私たちがどうこうできる問題ではありませんので、むしろ家庭において、子どもどう向き合うかが非常に重要になってくるのだと思います。

小さなことでも褒める、承認する、感情を受け止めるなどの気遣いの部分や、自己肯定感を下げる言動についても注意していかなければいけないでしょう。全部を一気にやるというのもなかなか難しいのかもしれませんが、1つ1つ改善できるように意識していきたいと思います。

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