長男=小学5年生男児との接し方を、ちょっと変えていかなくちゃいけないかな、と思っている今日この頃です。
長男、声も変わってきて、背もぐんぐん伸びてきて、なんか一気に中学生っぽくなってきていて、まあ見た目相応に反抗期っぽい反応を見せることも多くなっているので。
最近特に「おっ?」と思ったのは、小3の次男を叱った時ですかね。言われたことやってなくて、「ちゃんとやれよ」って叱ったら、長男が「次男はちゃんとやっているし、お父さんの指示が悪い」とか言い出したのですよ。なるほど、と思って黙ったんですが、思えばそこでちゃんと謝っておけばよかったな。
ともかく、自分が納得いかないことに対しては結構強めに反論してくるんですよね、最近。
実はこの次男を叱った時の彼の反応には、ちょっとにやにやしてしまった部分があります。「ああ、とうとうこういう風に、親に意見するようになったか」と。生意気だな、と思わないでもないですが、どちらかというと、やっと来たか反抗期!という感じです。目次
反抗期の子どもは大人の態度をよく見ている…ような気がする
この反抗期という時期、私にとってはかなり思い入れが強いというか、いろいろと今の自分を形作った時期だな、と今でも強く思っています。
この時期に得られた経験は今でも強く思い出しますし、その時に感じた感情は今でも(まあ鮮明とまではいかないにせよ)思い起こすことができます。
また今自分の芯になっている部分は、間違いなくこの時期に作られたな、と自信を持って言えるわけです。
つまり何が言いたいかというと、子どもが迎えたこの反抗期という時期を、大事にしてあげたいと思うのです。
この時期の大人の対応って、私はとてもよく覚えています。正直、社会人になってからの大人との出会いよりも、この時期の大人との出会いのほうがとても印象的です。かかわった大人なんて、親か学校の先生、あとは教育委員会の人とか、そういうのばかりですが、それでも「この人はこんなことを言っていたな」ってすごく心に刻まれたいくつかのシーンがあるのです。
きっとそれは、大人とか子どもとかそういうくくりではなく、1人の人間として扱ってもらったとか、対等な話し合い、対等なディスカッションに応じてくれたとか、そういうシーンです。
私が反抗期のころの思い出深いシーン
特に思い出深いシーンを1つ。
生徒手帳を何気なく見たときに、おかしな校則が目に入ったんですね。例えば、髪型について。男は坊主、女はおかっぱ、みたいな、そんなイラスト付きの校則です。
ほかにも、靴下は白だとか、下着がどうとか、服装についてもかなり細かい規定がありました(そこまで詳しくは覚えていないのですが…)。ただ私が中学校だったころですら時代遅れで、あまりにおかしい校則であることは間違いない、そんなやつです。。
で、それを先生に問いかけたんですね。こんな校則、意味がないだろう、と。先生だってそれを理解しているはずなのに、なぜ校則として存在するのか、そうまでして生徒を縛りたいのか、と。
その時の、先生の答えがとても印象的だったのです。
…実は、先生が何を言ったのか、そこまでちゃんと覚えていません。縛るわけではないが、かといって完全に自由にするわけにもいかない、とかなんとか。
「あらかじめ、少し破ることを前提として、規則が作られているのではないか。『ここまでやっていい』というギリギリの規則にしてしまうと、それを逸脱した時にもっと大きな問題になる。だからちょっときつめの規則にしている」と。
車のハンドルの”遊び”を例に出してそんな回答をしてくれたのです(要はハンドルを回した角度の分だけタイヤが回ると事故につながってしまう。だからハンドルをたくさん回しても、ちょっとしか曲がらない、みたいな話)。当時の私はハンドルの”遊び”のことなんて理解できませんでしたけどね。
ただ、それでも私はとてもうれしかったです。先生がとても悩んで、中学生の自分にもわかるように、そして納得してもらえるようにちゃんと話してくれたからです。
大人になって考えてみると、「そんなの知らないよ」とか、「別に無視していいんじゃない」とか、適当な言葉でかわすことだってできたはずです。けれども、ちゃんと議論してくれた、そういうところにすごく感動したのです。
いや、当時は「ふーん」って感じだったかと思いますが(というかどちらかというと納得してなかったと思う)、大人になって、その先生の年齢を超えてきて、今更ながら感激したのです。
ここまで真剣に、答えをくれたんだ、って。
ちゃんと相手の声に耳を傾けないとね
つまり何が言いたいかというとですね。
自分もその先生のように、ちゃんと長男の言葉と向き合えるようにしたいな、ということです。この反抗期という時期、人生とか、生きる意味とか、勉強する意味とか、そういうの変にたくさん考える時期じゃないでしょうか。私はそうでした。
だから、子どもだからと言って適当にあしらったり、真っ向から否定したり、あるいはバカにしたりしないで。相手の疑問に対してちゃんと答えてあげられるような大人になりたいと思うのです。
そしてまず、そういう疑問を投げかけてもらえるように、子どもにとって、青臭い話をしてもらえるような、そんな存在でありたいと、強く思うのです。
きっとこれから先数年、長男はいろんなメッセージを投げかけてくるのかな、と思います。そんな時、その貴重なメッセージを無下にしないで、1つ1つ救い上げてあげられるように、アンテナを張って子どもと接していきたいなと思う今日この頃なのでした。