支援学級を申し込むにあたってなんかモヤモヤする。うちの子どもばかり割りを食ってないか…?

子ども
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学校から支援学級の話を受けて少し前向きに検討しようと思っているところ、少し問題が発生しました。小学校の先生が言うには、支援級を確実に設置してもらうには、できれば専門機関の診断書があったほうがいいのだと。

ただし締め切りはどんなに遅くても2月中旬。残り2ヶ月もない状態です。しかも年末年始挟みますし。

そんなちょっと困った状況と、学校の意図について考察してみました。

これまでの経過について。

うちの下の子どもは現在発達に少し問題があり、半分くらいしか授業をまともに受けられていない状況となっています。詳しくは以前書いたブログにありますので、もし宜しければ読んでみてください。

クラスで先生1対児童20名という状況だとどうしてもちゃんと授業を受けるのが難しい下の子どもに、1人で落ち着いて授業を受けられる環境を整えてあげれば、しっかりと授業を受けることができるのではないかと考えたからです。

事実私が下の子どもにマンツーで勉強を教えるときは、そこまで大きな問題にならないからです(もちろん家と小学校では教える内容や量なども違うので一概には言えませんが…ただ勉強の内容が理解できないということではなく、全体への指示が通りにくいとか、気が散りやすいとか、そういう問題なのです)。

当初は今ある資料だけで申請を行う予定だった。

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既に行政の発達支援サービスに行き相談はしており、広範性発達障害疑い、自閉スペクトラム症候群疑いと言われており、その根拠となる試験のデータも合わせて先生に提出していました。そして先生はそれで大丈夫と当初言っていたのです。

けれどもここに来て、やはり診断書が必要だと言ってきました。より確実性を持たせるために、診断書を取ってきてくれと。

今から診断書をもらうのは絶望的すぎる。

そもそもこういった子どもの発達系を診てくれる病院、クリニックはどこも予約でいっぱいで、新患は来年度にならないと受け付けないとか、予約に3ヶ月から半年かかるというのもザラです。悠長に待っていたら申請どころか時学年に突入してしまいます。

そもそも今ある資料だけで大丈夫と言われていたのに、いきなり「確実性を」と診断書を求めるあたり、無茶が過ぎるというものです。

小学校側は焦っている?

どうも、なんとしてでもうちの下の子どもを支援学級に入れたいという意志を感じるんですね。現在下の子どもの学級で、落ち着きがない、なにかと教室を脱走するといった児童が、うちの子どものほかにあと2人いるのですが、その子たちとうちの子どもが揃ってしまうことでより状況が悪化しているように感じられるのです。

すなわち、1人が教室を抜け出せばほかの2人も抜け出すようになり、1人が机の下に潜り込めばほかの2人が注意しあってケンカになったり。そのたびにトラブルとなって担任の先生や、ほかの先生の手を煩わせてしまうことになるのです。

次学年のクラス分けまでになんとか決着をつけたい?

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現在うちの下の子どもの学年は2クラスなのですが、2年生に上がるときに問題児3人を分けたとしても、どちらかのクラスは2人揃うことになってしまいます。そして現在、発達のことで先生に相談しているのがうちだけ、という。

つまり、学校側とすればうちの子どもを隔離できてしまえば、残りの2人を違うクラスに振り分けられるわけですね。これは小学校側としては大きなメリットでしょう…支援学級を新たに設置するわけですから、当然教師も1人増え、その分担任の先生の負担も大幅に減らすことができるのです。

支援学級自体は賛成だけれども…。

支援学級自体は嫌じゃないのです。ただなんとなく、小学校の都合、先生の都合でうちの下の子どもを利用しようとしているのではないか?というところにモヤモヤを感じるんですね。

ほかにもそういう子がいるにもかかわらず、相談しているからという理由でうちの子どもが通常学級から追い出される、そんな錯覚に陥ってしまうのです。もっと言うと、うちの下の子どものほかの2人がクラス替えで離れてくれれば、うちの子どもは支援学級に行かなくてもいいのでは?とすら思ってしまうのです。

変な不公平感を感じてしまっているわけですね。それもこれも、支援学級に通うことが、うちの子どものデメリットになるのでは、と思ってしまうからです。支援学級だからといって差別もなく、言われなき中傷もなく、穏やかに過ごせるだけのかんきょうであるという保証があればいいんですけれど。

学校→会社という常に集団に属していなければいけないという日本の仕組みにひとこと。

そもそも、小学校に通わせる1番の目的は義務教育だからというのと、会社勤めになった時に最低限の集団における社会性を身に付けておかなければいけないという2点です。逆に言うと、個人で仕事を取ってきて、個人で稼ぐ方法を身につけることができれば、そもそも小学校に通う必要はないでしょう。

経歴も集団における社会性もそこまで求められない仕事だって、この世の中にはたくさんありますし、私だって半分そのようなものですから。ただどうしても日本の考え方だと、会社に勤めて集団に属するのが一般的で、そうでない人は異端という認識があるものだから、すごくやりづらいんですよね…社会通念のプレッシャーみたいなものでしょうか。

そう考えると、小学校の集団生活になじめないというだけで隔離せざるを得ないこの今の仕組みに、ちょっと嫌悪感を抱いたりもするわけです。うちの子ども、そんなに悪くないはずなのにな、って。

確かに気が散りやすいですが、それでも集中して物事に取り組めないわけではないですし。集団で一律に行動するのは苦手ですが、人に対して優しいし、困っている人を見掛けると話しかけてあげる子ですからね。

集団に属しない生き方を一緒に学んでいきたい。

もちろん集団に属することができるようになるのも大事ですので、そこを疎かにするわけではありませんが、決して会社に入らなければいけない、みんなと同じような働き方をしなければいけないとならないようにしたいと思います。それを、一緒に模索していきたいと。

今時学校通っていてもいじめられて引きこもりになったり、変な先生に当たって勉強が嫌になったりというリスクだってあります。大きな会社に入ったってパワハラだとかブラック企業だとか、命を落とす危険だってあるのです。

それならば一層の事、どうせ集団に属するのが苦手というなら初めからそれに頼らない生き方を考えていったほうがよほどリスクがないように感じます。これまでよりさらに1つ視点を変えて、いろんな生き方を学んでいきたいと思いました。

そんなはなし。

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